◆サロン・ド・B・ネオの作家たち◆
★★陶谷睦先生の場合★★
≪その1≫
於:花田光のビリケン夜話2016冬
と同時に開催した
サロン・ド・ビリケンにて、
2016年12月4日・夜に
朗読して下さった作品です。
その作品のタイトルは
◆◆◆『また あした』◆◆◆
≪こっそりその手書き作品から・・・
花田が書き写しますね?
陶谷睦先生(作家さんです)お許し下さい。≫
ちなみに
以下の小説の主人公『ミータン』
の
ママ(三十代で他界したひと)の人生を振り返るお話を、
2017年3/26のサロン≪夜の部≫で読んで下さいました。
ようやく追悼が出来ます、と仰られていました。
そちらの作品は
『浜のお星と赤い星』
で、ホームに
Youtubeで
掲載中!
50分の大作。
花田と下梶谷の三つ巴の奇跡!
必聴!
以下原作の写し
『また あした』作・陶谷睦
昭和50年代前半、私は小学校低学年でした。
8時だよ全員集合、ピンクレディ、口さけ女、そういうものに 子供たちが夢中になっていた頃です。住んでいたのは岩手県の内陸にある小さな町で、まわりは田んぼだらけでした。
夏の夜は、360°カエルの大合唱に包まれます。
その一角に、小さな貸家が10軒くらい集まって建っていて、
若い夫婦が住むのに丁度いい、家賃の安さと、せまさでした。
なのでまわりには子供がたくさんいました。
ミータンは横浜で生まれましたが、両親が離婚して、ママと、新しいお父さんと、ここにやってきました。一人っ子でしたが、絵を描いたり、なんか作ったり、
たいくつを知らない女の子でした。
ミータンと一番の仲良しになったのが、山田さんちの3兄弟。
一番上のさとし君はミータンと同い年。イケメンで、運動神経が良くて木にもスルスル登ります。一番下のマーちゃんまだ3才くらい。すでにイケメンの兆し。
そして真ん中の よっちゃん こと よしまさ君。3人の中で、なぜかよっちゃんだけ お母さんに似てしまいました。丸顔で、あさ黒くて、まっ赤なほっぺはすり傷だらけ。いつも鼻水をたらしています。セーターの袖口は、いつもカッピカピでした。
よっちゃんはいつもお兄ちゃんに命令されています。逆らっても逆らっても腕力でおどされて、結局わんわん泣きながら言うことを聞くのでした。
弟のマーちゃんはかわいいのでみんなからチヤホヤされています。
よっちゃんは行き場のないストレスを、世の中の女子にむけました。
女の子の前では ネチネチいやみしか言いません。
ミータンは なんか言われても気にしません。だって自分よりチビだし。
となりのゆり子ちゃんは 青白い顔の美少女でした。外ではけっしてあそびません。まわりの誰ともあそびません。ある時ミータンは ゆり子ちゃんの家の中に 巨大ななぞの機械があるのを見てしまいました。台所の半分くらいをしめていて、高さは天井まであります。水をどうにかする機械…らしいよ…と大人たちはうわさしています。たまに聞こえるピアノの音だけが、ゆり子ちゃんの気配でした。
さっちゃんは、クールで感情をあまりおもてに出しません。
とてもやさしいお父さんがいて、日曜日は外であそんでくれるのです。
バトミントンをしたり、テニスをしたり。他の子たちはうらやましそうに見ています。お母さんたちも「あそこのご主人 いいわね~」と
見ないようで、バッチリ見ているのでした。
お父さんとあそぶ時だけ、さっちゃんは子供らしく笑いました。
さっちゃんのお父さんは、さっちゃんを私立に入れて、留学もさせて、ステキにがんばりましたが、ある時、がんばりきれなくなってしまいました。
会社のお金を横領して、捕まってしまったのです。
彼にはもう一つ家庭があって、内緒の奥さんと内緒の子供がいました。
きっとそちらでも ステキなお父さんだったのでしょう。
けい子ちゃんは おませな子でした。
夏になると、空き地の雑草は子供の背たけよりも高くのびます。
けい子ちゃんは誰にも見られないように草むらの奥にミータンを連れて行き、服を脱いで触りっこしようとさそいます。
身も心もまだなんにも芽ばえていないミータンは、言われるがままに体を触ってあげるのですが、大人にばれてはいけない、
ということはなんとなくわかりました。
草むらから出て行くと、なぜか よっちゃんがいて
「見ちゃったもんねー、スケベな事してんの見ちゃったもんねー」と言うのです。いつ来て、どこからどう のぞいていたのか、あいつは本当に油断できない。
その頃 けい子ちゃんのお母さんは、すぐに悪口を言いふらすので近所の奥さんたちから仲間はずれにされていました。
子供たちは、大人の事情をわかっていても、けい子ちゃんを仲間はずれにしません。
でもけい子ちゃんはいつの間にか、姿を見せなくなりました。
ミータンの家はステキでした。まわりの貸家と同じデザインの小さな平屋ですが、ポーチには観葉植物があふれ、鳥かごもぶら下がり、白い犬もいます。横浜でブイブイ言わせていた お母さんは美人でほがらか。
ミータンが幼稚園の時、運動会に一人だけ、ものすごいミニスカートであらわれました。田舎のお母さんたちが地味なジャージを着ている中で、ミータンのママだけが 太ももあらわにし、髪もクリクリの茶髪だったのです。
お母さんはいつも縁側を開け放って、通りがかる奥さんに
「お茶のんでってー」と声をかけていました。
ミータンが学校から帰るといつもどこかの奥さんがいて お菓子があって、つけものがありました。ちょっとうんざり。
お父さんは20代で初めての結婚。気ままな一人暮らしから いきなり他人の子供のめんどうを見ることになって、いつも不機嫌です。
でもお父さんは悪くありません。結婚相手の連れ子が愛せない人はとても多いのです。覚悟を持って結婚しても、生理的に愛せないという事に気づいて、誰にも言えず、苦しむのです。
お母さんとお父さんはいつもけんかをしていました。
ミータンは極度の人見知りです。近所の子があそんでいても、ふつうに仲間に入れない。犬の散歩のふりをして そばを何回も通りすぎ、声をかけられるのを待つのです。作戦がうまくいって その日どんなに仲良くあそんでも次の日にはもう 自信が無くなってしまう。
カーテン越しに外の子供をながめて、しばらくうじうじして、結局外に出て行けないという日もありました。
たまに、よっちゃんが呼びに来てくれる、というラッキーデーがありました。
「お兄ちゃんが、野球するからミータン呼んでこいってー」
もうミータンは 天にものぼる気持ちで スッとんでいきました。
さとし君は、長男ゆえか、おおらかな優しい子です。
「女なのに野球うまいよな。」とか「いつも面白いあそび思いつくよな」とか言って、ミータンに居場所を与えてくれました。
ミータンはうれしくなって、才能を爆発させていきます。
新しい鬼ごっこを開発したり、廃材を使って空地に遊園地をつくります。さとし君はいつも手伝ってくれました。よっちゃんは文句を言いながらも、結局そばにいるのでした。
そんな、ミータンがひっしの思いで手に入れた大事な時間を ぶち壊す存在が現れました。
のぶえ です。
いつの間に引っ越して来たのでしょうか。年齢不詳。ミータンは年下だと思っていましたが、ひょっとすると、年上だったかもしれません。
くしゃくしゃのおかっぱ頭。丸顔で 鼻ぺちゃで、興奮した獣(けもの)のようにギラギラした目。
この小さな怪獣は、子供社会をパニックにおとし入れてゆきます。
みんなで仲よく遊んでいると、家からとび出して来て、誰かのおもちゃをひったくります。ひったくったはいいが、のぶえちゃんには使い方がよくわかりません。
早く取りかえさないと、おもちゃには悲しい未来が待っていました。
どこかがもげたり、食べかけのアイスでベトベトにされたり、ドブに落とされされたり…。
でも「返して!」なんて言ったら最後、「うるしゃい!」と逆ギレされてしまいます。当時は、どんなに安いおもちゃでも、お母さんに何週間もねばって やっと買ってもらう物でした。子供たちはひっしです。正攻法で戦っても通じる相手ではないので頭を使います。
「のぶえちゃん、次 私にもかして~」とやさしく言ってみたり、
「あー、これ面白ーい!」と言って、どーでもいい別のおもちゃで遊ぶふりをしてみたり。
だけど のぶえ は 驚くほどトレンドに敏感で、人気のおもちゃを絶対に離さないのです。子供たちが頭脳を結集させている時、ひとりだけ結集させない子がいました。
よっちゃんです。
「うー、のぶえ きたねー!お前家から出てくんな、バーカ バーカ!」
あ~~~のぶえちゃんのテンションはマックスを突き破り、もう、誰も手がつけられなくなります。
「なんだとーー!このやろー!ぶぶぶぶぶ………」
唾を吹きかけてきます。つば攻撃を避けて距離をとると、
今度は石を投げてきます。
皆を追いかけまわすのぶえちゃん。子供たちの悲鳴。
こんな時、さとしが「みんな、こっちだ!」と誘導します。田んぼの細いあぜ道を一列になって逃げる子供たち。足の遅いのぶえは、すぐに距離を離されながらも「くしょー 待てー!」と追いかけていきました。のぶえをまいて、しばらく隠れた後、なんとなくその日はおひらきになってしまうのでした。
のぶえちゃんには、ルールや秩序がわかりません。
ある日ミータンとお母さんが買い物から帰って来ると、家の中にのぶえちゃんがいました。勝手にあがりこんで、お母さんのベッドの上で
ビョンビョン とびはねていました。
また別の日には、ミータンちのポーチにやってきて、ボールをつきはじめました。もう片方の手に持っていたアイスがベチャッと落ちてしまっても、かまわずボールをつきます。しばらくして、ミータンちの玄関に、そのとけたアイスをぬりたくって帰っていきました。のぶえちゃんに悪気はありません。アイスまみれになったボールを
ドアでふいてきれいにしようとしただけなんです。
たぶん。
ベッドの事件も、お母さんはギョッとしていたけれど、ミータンにはわかりました。だって自分もお母さんがいない時、ベッドの上でビョンビョンはねているんだもん。それはのぶえちゃんちの窓から 丸見えなのでした。
のぶえちゃんは 遊びたいだけなのです。他の子がやっている面白そうな事をとにかく自分もやってみたい。 他の子と同じです。
たぶん。
有名な臨床心理学者である河合隼雄さんの本に、気になる箇所がありましたので、ご紹介したいと思います。『ヒルベルは「まるめたパンツに小便をひっかけると、びしょぬれになったのを マイヤー先生の顔めがけてなげつけた」
ヒルベルはなぜこんなことをしたのだろう。一つの意味は明らかだ。彼は自分の「家」に侵入してきた外敵に対して反撃を加えたのである。
そして私にはもう一つの意味があるように思われる。
唾や汗や大小便などには、人間にとって「分身」という意味をもっている。未開人や子供たちの行動を観察すると そのような意味が感じとられることが多い。ヒルベルは、自分の「分身」を信頼し得るに足る人としてのマイヤー先生に「投げかけた」のではなかろうか。
子供たちの行為は、思いの外に多層的な意味をもつことが多い。
子供たちの行為が規範をはずれているとき、われわれはそれを叱らなければならないと同時に、その行為にこめられた意味を受けとめてやらねばならない。』
のぶえちゃんの武器となり、盾でもあった唾。
彼女の分身をいただけるほど私たちが信頼されていたとは思えないのですが こんなことがありました。
のぶえちゃんが暴れて、子供たちがキャーキャー騒いでいる時、めずらしくのぶえちゃんのお母さんが家から出てきて、無言でのぶえちゃんを家にひっぱっていったのです。
地味でおとなしそうなお母さんでした。
のぶえちゃんはぜったいに泣きません。他の子からどんなにバカにされても、拒絶されても、泣くどころか戦いをいどんでゆく、たけだけしい女戦士です。
だけどこの時だけ のぶえちゃんは泣きました。
「まだあしょぶ。まだあしょぶ。」と言って。
拒絶されてもされても一緒にいたいのでしょうか。
のぶえちゃんにとって 私たちは なんだったのでしょう。
ミータンのお母さんには、お父さんと大げんかした次の日の、お決まりなやつがありました。
「ミータンごめんね。お母さん もう 死ぬから……。」
母親が死ぬことが 小さな子供にとっては一番の恐怖です。
「やだやだ お母さん死んじゃやだー。」
絶望のどん底でミータンはワンワン泣きます。
その姿をサディスティックにながめて
お母さんは うさを晴らすのでした。
お父さんはミータンをいきなりどなったり ひっぱたいたりするのですが、何がスイッチでそうなるのかまったく見当がつきません。
夕方お父さんが帰ってくると 家の中は地雷原となります。
ミータンは両親を愛していましたが、
めんどくさいやつら、とも思っていました。
ミータンは、のぶえが邪魔で仕方ありません。
平安に満ちた至福の時間をぶちこわすから。
おままごとをする時は、ミータンがお母さんで さとしがお父さんです。さとしは男らしく 遠くからいろんな物を見つけて帰ってきます。たいてい落ちていたゴミですが、なべになったり、テーブルになったり、どんどん家がステキになっていくのでした。ミータンは雑草でごはんを作って待っています。
よっちゃんは家族にはなりませんが、そばで遊んでいます。
ああ、幸せで はちきれそう。
なのに、毎日は現れないのぶえが、そういう日に限って現れるのは
なぜなんだ!
ミータンは のぶえに毒を飲ませてやろうと思い立ちました。
家に走って帰り、食べ終わった食器をつけておく洗いおけの水を
コップですくって持ってきました。
洗剤の泡がういています。
「のぶえちゃん、はい、お水」
のぶえは なんの疑いもなしに受け取とって、ゴクゴク飲み始めました。
予想通りです。でも、あまりの素直さが、ミータンの胸をチクリと刺しました。自分が与えたものを おとなしく飲み干すのぶえが まるで赤ちゃんみたいで、一瞬、愛おしい、と思ったのです。
空にになったコップを返されて、ミータンは動揺していました。
殺意とか、お腹を痛くさせようとかいう気はなかった。
でも、ものすごく悪いことをしてしまったんだ、と思いました。
この事はぜったい、誰にも知られてはいけない。
小学2・3年生にとっては重すぎる十字架を背負うことになったのでした。
その後 のぶえちゃんは ケロッとしていました。
ミータンはひとりで遊ぶのも好きでした。秋になると、空地の雑草からいろんな種がとれます。ある つる科の草からは、小さなえだ豆のような種がとれました。これを集めて、糸を通して、首飾りを作ろうと思いつきます。
凝り性なので何時間でもモクモクと集め続けるのでした。
そんなミータンをみつけて、のぶえがやってきました。
もちろんミータンはのぶえと遊ぶ気なんてありません。
敵意さえ向けなければ暴れないし、無視していればそのうち飽きて帰るだろう。
のぶえは ひとりで笑ったり、聞きとれない早口で何か話しかけてきたりします。
聞こえないふりをしてミータンは種を集め続けました。
逃げるように場所をかえてもついてきます。
時間がたち、太陽が沈みかけても、のぶえは へっちゃら。
ミータンのイライラは不安にかわっていきました。
このまま家までついて来て、帰らなかったどうしよう。
ミータンはさりげなく、のぶえの家のそばに移動しました。
そして何の脈絡も無く大きな声で言いました。
「じゃーねー、のぶえちゃん! また明日、遊ぼうね!」
ふつうの子なら、その唐突さと、態度の豹変を
いぶかしがるのでしょうが、のぶえはちがいます。
「うーん!」うれしそうに返事をしました。
「また明日、あしょぼうね!」
まんまとのせられて自分ちの玄関に入っていきました。
ミータンの邪悪さが選んだ言葉
「また あした」
さっきまで相手にもしていなかったのに、
さも一緒に遊んでいたかのように、
今日もあしたも、その先も、遊ぶ気なんてないのに
「また あした」
そして、自分はやさしい子だと、まわりの大人に聞こえるように、
大きな声で
「またあした」
とにかくのぶえが離れてくれたことにホッとして、
ミータンは おうちに帰りました。
数日後、ミータンはお母さんに言われました。
「今日、のぶえちゃんのお母さんと会ったよ」
「…… ふーん」
「ミータンが、のぶえちゃんに また明日あそぼって言ってくれたって」
「… うん」
「うれしかったって… 泣いてた」
「… 」
・
・
・
小さな貸家が何軒か、肩よせ合って、田んぼのかたすみに建っています。
誰もカギなんてかけません。色んなことがつつぬけで、家庭の事情を
お互い うっすらわかっていました。
ミータンの家が一番にぎやかでした。
お父さんのどなり声とお母さんの金切り声。それと同時にガラスが割れて、子供は泣くは、犬は吠えるは。
それでもお母さんは派手で美人で、
昼のえんがわにはお茶とお菓子とおばちゃんたちの笑い声。
ポーチにあふれる南の国の植物と
買ってくるそばから死んじゃうので、
もう何代目かわからないセキセイ・インコ。
のぶえちゃんちはいつも静かで、家に人がいるのかいないのかわからないくらいでした。
のぶえちゃんにとって ミータンちは カラフルな
ひとつの楽しいおもちゃだったのかもしれません。
あの秋の午後、のぶえちゃんはなぜ、ずっとそばにいたのだろう。えんえんと種を集めるわたしのそばに、
なぜえんえんと いてくれたのだろう。
彼女は 会話のできない子だったけれど、
だからそのぶん伝えたい気持ちは 他の子よりも強かったはずなんだ。
でも これはもう 大人の推論です。
「またあした あしょぼうね!」のハスキーヴォイスを
今でも はっきり覚えています。
あれから40年ちかくが たちました。
もうのぶえちゃんは サ行がきちんと言える
のぶえさんになっていることでしょう。
もし会えたなら ごめんなさい を言いたいです。
(終)
≪花田の補足:手書き原稿で、声にして読むための文字であり、また小学生の世界観を出すため他、絶妙なひらがなカタカナの記述を
読みやすくするためほんの少し漢字にした箇所があります。
原作者さまm(__)m≫
紛れもない純文学作品だと、
戴いた手書き原稿を読み
私は涙しました。
ちなみに陶谷さん、アーティスト系の血を継ぐ方で、
このHPの素晴らしい白黒写真は、
その方の手によるものです。感謝!
・・・
イタリアの物書きで、名前覚えてません、
ややこやしいなんたらビッチうんたら、っつう人が、
『海の上のピアニスト』
っつう戯曲小説?で云ってます。
『なにかいい話があって、
それを語る相手がいる限り、
人生捨てたもんじゃない』。
生きてるうちに、素敵な話、
『語りに』『聴きに』いらして下さいよ?
サロン・ド・ビリケンの面白さは、
来ていただかないとわかりません。
下梶谷くんの超絶ギターが、
あなたの話に相槌打ったり、
感心したりチャチャを入れたり
素敵っすよお?
勿論わたしたちの唄とギターのコラボも
ご希望とあれば演りますっ。
皆様お待ちしておりやす
イグレシヤスなたり~ぃいっ♪。
ホストの花田フリオ 拝っ
◆サロン・ド・ビリケン◆とは、
現代の民話的体験
(体験者が第三者でもいいんです)
を語り合う集まりです。
聴くだけでも大歓迎。
聴くうち思い出して語って下さる話がまた
「たまんない」んです。
説明が難しいのですが、
その話本当に不思議かあ?とか、
そんな無粋な検証とか一切いたしません。
でなく・・・例えば 死者への敬意、
不可知なものごとに対する畏れ、
戸惑い、逡巡などなど、
・・本来 我々生き物って
怯えて生きているって思うんです。
人の、もともと と申しますか、
地上に棲息する『虫』みたいな生き物である我々の、
本能的に持っていたはずの・・・
殊勝な感性?っつうか
いたいけな感覚、、
鋭敏な勘で不幸を回避したり、
逆に悲劇にみまわれたにしても
そこに不思議に全く別の何かを
ギフトとして受け取る感性、
やらなんやら、・・・ともかく
掛け替えのない今を、とりあえず
こうして呼吸してうごめいていられる私たちの、
生きざま、感性、
美意識、祈り、
みたいな・・・もの
・・・・を『喚起』させるエピソードは、
人生の大切な宝、
・・・わたしの勘、にすぎないのですが、
『物語、なんだかいい話、
誰かに伝えたい話、
生きているうちに、誰かと、共有したい話』
の中に・・そうしたものが、
わたしはある という気がするんです。
そういう話を聴き、語るのが、
サロン・ド・ビリケンです。
前々回、ある人が、
『不思議な話ではないのですが、
それでも良ければ、話しますよ?』
と、おっしゃられました。
その人が若い日
放浪の途中迷い込んだ北陸の
今は無き
超高級旅館の仲居時代の話・・・。
暗闇に謎の外国人たちと共に押し込められ、
客がはけた後、一気に宴会場に放たれ、
様々な謎の言語の飛び交う中
尻っぱしょりをして
マイタケを摘まみ食いした話やら
心無い悪意の陰謀をかいくぐり
奇妙な相互理解を交わした
イラン人の若者に
おんぶされて笑った話
とっても興味深かったため、
話していただき、もちろん大好評でした。
その方は、次のサロンでさらにディ-プな
作品を御披露下さり、
それが上に掲載の
『また あした』
です。