『紅い小狐先生の部屋』

この先生は、2023年、突然ビリケンカフェを訪れてくださいました。その昔、ビリケンカフェが出来た当時、(四半世紀前です)その頃まだ花田は東京アナウンスアカデミーでインチキ講師をしており、そのクラスの飲み会に参加して下さっていたそうで、しかも花田のクラスではなかったのに何故かいらしていたそうです。

その方に、書いてみませんか?と打診しました。書いたことがないと仰ったので、たまたまそのとき僕が読み終わった、高橋源一郎の『一億三千万人のための小説講座』とかいう本を勧めました。僕が若い日に読んでいたとしたら今もっと充実していたに違い無い本です。そうしたら以下の文章を送って下さり花田感涙っ。

2024年3/24のサロン・ド・ビリケンで読んで下さいました。

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★「読み聞かせ欲」★ 作・紅い小狐

 

 東京アナウンスアカデミーを卒業しても事務所のオーディションに受からず、声優の夢を諦めた。

でも、読みたい聞いてもらいたい表現したい欲は消えない。

人、それを読み聞かせ欲という。

 

 声優にも役者にもなれなかったが、我が子に絵本の読み聞かせをすることはできる、と前向きに考えて日々子育てに励んできた。

20年前はスマホもYouTubeも無かったのでテレビが悪者にされていた。

乳幼児にとってテレビは有害、見せても130分まで、それよりも手遊びや絵本の読み聞かせをという風潮だった。

保健所でやっている乳児検診や地区センターでの子育て講座で半ば脅されるように言われるので新米ママは縮み上がる。

しかも、たくさん絵本の読み聞かせをすることによって国語力がアップし、勉強しなくても頭のいい子になる。

逆に読み聞かせをしないと情緒が育たず人の気持ちのわからない冷たい人間になるとも言われた。

あたかも読み聞かせは世界を救う、読み聞かせは正義といった暑苦しい風潮に私の読み聞かせ欲がハマる!

私はよい母さんになれる!!

そう思ったのもつかの間、わが子たちがまるで絵本に興味を示さない。

私が読んでいても勝手にページをどんどん先にめくったり、表紙を乱暴に持ってプラプラと揺らしたあげく破ったり、耳をふさいだり。

地味に傷つく。

もしかして親が読んであげたい本と子どもが読みたい本は違うのでは?と子どもを連れて本屋に行き好きな本を選んでもらおうとした。

子どもたちが選んだのはボタンを押すと音や光が出て歌が流れる本。

おもちゃのようで楽しいんだろうけどそれでは国語力も情緒も育たない。

親が選んだためになるありがたい本を読むのを聞け!と強制するのは違うと思うし、それじゃ児童虐待だ。

そんな人間になりたくない。

子どもは絵本が好きだなんて誰が言ったのだろう?

好きじゃない子が身近に二人もいるというのに。

もしかしてレアケース?嬉しくないけど。

その後何度も読み聞かせに挑戦するものの失敗ばかり。

思い描いていた母と子の優雅な絵本タイムとはほど遠い生活だった。

 あまり絵本の読み聞かせができないまま子どもたちは小学生になった。

小学校には保護者による読み聞かせボランティア団体があり、水曜日の朝、それぞれ割り当てられたクラスにボランティアが行き  8304515分間児童に読み聞かせを行っている。

何を読むかは読み手が自由に選べるというなんとも魅力的な話

とりあえず表向きは子どものお世話になっている学校のためにお手伝いができたら、本心は何年も溜め込んだ読み聞かせ欲を満たしたい、と思い説明会に参加してみた。

読み聞かせボランティアの代表の方が開口一番、

「お子さんが絵本が好きでご家庭でたくさん読み聞かせをされている方は手を挙げて下さい」

私以外全員の手が挙がる。

なんか気まずい。

場違い感ハンパない。やっちまったなーオイ。

周りの人がすごく正しくて立派なお母様に見えてくる。

私は全然正しくない。

やる気はあっても経験がすごく少ない意識低いダメママだ。

入会するのやめようかなと思ったけど、正しくて立派な意識高い系ばかりだと子どもたちも息がつまるのでは?

私みたいなゆるふわお笑い系が一人くらいいたってええじゃないか。

教育的なことはできないけど、楽しんでもらえたらいいかなと思って入会を決めた。

なぜか評判が良く、子どもが卒業後も月12回参加を許され10年ほど続けられた。

 読み聞かせ欲を満たしたくて始めたボランティアは予想以上に楽しく、様々な良い経験ができた。

ボランティアさんは低学年だけがいいとか自分の子のクラス以外は行きたくないという人が多い中、私はどの学年でも構わないというスタイルで便利な人ポジションを確立した。

低学年は素直、高学年は複雑ということは無い。

ありがたいことにどちらもきちんと聞いてくれる。

校長先生が図書教育に関心のある人で、毎年夏休みに国際読書会というイベントをやったり、全校集会で『100万回生きたねこ』の朗読をボランティア有志で担当したり、コロナ禍では放送室からリモート読み聞かせをしたり・・・これは緊張したけど声優の疑似体験のようで嬉しかった。

この10年でいろんな経験ができて幸せを感じている。

読む技術に自信は無いけど、図書館や絵本専門店に行ったりして何を読むか選ぶのは日々勉強になっている。

朝なので暗い気持ちになる内容は避け、季節に合った本、教科書に出てくる作家の本、幼稚園や保育園で人気の本をあえて高学年に、などと工夫するのが面白い。

 

 絵本嫌いの我が子たちは特に学力が低いわけでもなく、自分で本を読むようになり小説を書いたりしている。

人の気持ちがわからないということもなく、普通に友達はいるようだし、部長や委員長に選ばれてそれなりに頑張っている。

何も気にすることはなかったのだ。

逆に絵本大好きだった子はみんながみんな優秀というわけでもないらしい。

読んでもらうのは好きだけど自分で読むのは嫌いといったところか。

人それぞれかも。読み聞かせは万能ではないということがわかった10年間だった。