ざんさんの芸の幅の広さと申しますか、深さを、僕の携帯に戴いた数々の感想メールの中に見ます。パソが何だかうまく機能せず、ブログに書き込めないのでここに写します。①涙が出るほど笑ったのって、すごい久しぶり。私はウリがツボにはまりました。(←ひとり宝塚・派ですね。一票っ)②通訳ガイドの学びの中で日本の伝統芸能に今一度きちんと向き合いたいと思っていたところでした。特に文楽に興味があり昨年末国立劇場に行ったところでした。金子さんはきっといろいろな分野に造詣の深い方とお見受けしました。ゆっくりお話し伺えたら楽しそう。(←ひとり文楽・七匹の子ヤギ・派。一票っ)③すごく面白かったです!私は古文の先生と、ひとり宝塚が特に好きです!ざんさん歌も素晴らしく、でも笑いは止まらず(笑)(←先生四態に一票っ。宝塚また一票っ。★甘い囁きではざんさん歌詞まったく入ってなく歌詞見ながらなのに紫のぎんぎらドレスで熱唱♪思わず小生パろ~れ♪を復唱してしまい圧倒されどおしでした)④ざんさんの芸の技術はもちろんですが,発想が凄いなと思いました。瑞々しい感性をお持ちなのだろうなと。コラボ(甘い囁き)、最高でした。⑤笑い過ぎて顔が痛くなりました。先生とザンさんの絡みが忘れられません。⑥これはメールでなく直接聞いたのですが、冒頭の『絵解き』に熱い一票を投げておられる方が約一名さま、いらっしゃいました。どこやらにある釈迦の涅槃像の絵の解説を和尚さまがして下さるというオープニングでした。僕も味わい深い作品だと思います。⑦そしてもちろん田谷りきみ氏のオペラにも多数!・・・おそらくは、全ての演目にそれぞれツボな方が沢山いらっしゃったに違いない今回の、♪ざんさんのビリケン・ショウ♪是非またやって欲しいとの声が続出の素晴らしい日となりました。そもそも、ひとり宝塚とは、もともとは確か中野ポレポレ坐で、浅草雑芸団による東京野菜のイベントがあり、まくわ瓜となんたら瓜の恋の作品 だったもの。それが単体で一人歩きをしている凄味っ。ううううむむむむ流石金子ざんんんううううむむむ・・・・。ざんさんが打ち合わせの時 ちらとおっしゃっておられた『顔花火』なる芸を、小生、次回は観てみたく!!お願いいたしまする!!!ざんさん、本当にありがとうございました!松陰神社の三谷ちゃんの夢が、一つ叶いました。至近距離であの人が観れる食べれる、いえ、食べれない、ビリケンカフェへ、皆様だうぞいらっしゃいませええい♪♪
2015年ほんとに年末 急遽 金子ざん氏よりメールが入る。「1月出来ますが・・」と。ざんさんの・・過密スケジュールが空いた! で、即決!
☆☆☆2016・1/24日曜15時開演・入場30分前。ワンドリンク付き2000円也☆☆☆
▲▲場所:『ビリケン・カフェ』
世田谷線・松陰神社前 下車2分。
松陰神社前商店街を 松陰神社に向かって歩き「キュ-ズ・マート」(スーパー)斜向かいの「さとう鍼灸治療院」の 左隣りが
ビリケン・カフェです。▲▲
◆今回ささやかな一回こっきりの幻ショウ≪甘い囁き≫挿入!◆
唄・をどり⇒金子ざん 囁き⇒花田光 ざます。おたのちみにっ♪
★★★★・・・・・いんとろ~♪♪♪~「素敵だぁ・・君と会う夜は、いつも初めて会った感じなんだよ・・・」★★★年始で餅の食い過ぎでより太った老いりーはな拝っ
↑↑↑上に写真掲載の★田谷りきみ先生の絶唱★より その ほんの一部を・・・・・ 「♪岩わぁに凭れええた 物凄おおい人ぃとよおおおおお ♪デぃあボロお デぃアぼろお ♪デぃあぼろおおおおお♪♪♪デイああああああああああああああああああぼろろろおううううう!!ぅんぬっっ !!!!!!!」 拍手喝采・・・
皆様、無事◆『ビリケン夜話2015』&
◆『サロン・ド・ビリケン2015』開催できました。
ありがとうございます!不器用ですが、これから皆様に御礼の言葉をお伝えしようと思うてます。m(__)m不如意パソで。
重松清先生の作品の中でも、朗読化には勇気がいった『よーそろ』皆様の好意に満ちたご感想を読むにつけ、やはり偉大な作家の力を感じずにはいられませんでした。拙い奴が朗読してもちゃんと伝わる。何故ならそこに『全て描かれているから』。小説内ではインチキなはずの関西弁。私はズルイので思いつきました。『墓の木を切刻む夢』の話を提供して下さった代田麻友さん(仮名)に、超ご多忙な中を縫って録音していただいた(「だんじり」で有名なかの地の言葉)大阪弁をメールで送って戴いたのです。涙が出ました。宝物です。ネイティブは音階が微妙過ぎて 聴いても不肖花田にはとても再現出来ず、ズルイ私はさらに頭を使いました。MP3録音機を複数使い、まず原音を、一言ずつ復唱し録音します。その後それをヘッドフォンで聴きながら、台詞(ムラさんの放浪記)を喋るのをさらに録音。要するにネイティブの人のたまらない絶妙な音階と、僕なりの心情の混じった台詞を自分の耳で無理やり結婚させた?のです。だから小説のインチキ関西弁という設定に、若干は近づけたかも、しれません。麻友さん!本当にありがとうございました。麻友さんのあの切り刻むビジョンが、旧友の不幸な予知夢を思い起させ、ポランスキーの『マクベス』を蘇らせた。その瞬間、音効は決定しました。増村保造監督の珍作?(三島由紀夫・原作の)映画『音楽』の、ヒロインの脚が巨大な鋏とオーバーラップするオープニングのあの画像と鋏の音、林光の実にいやらしい音楽。、・・・あの音 イタダキっ!と。
ポランスキーの『マクベス』の霧。まさにその映画のSE まあんまイタダキっ。この二種のリフレインでOK!一瞬にして決まりました。
麻友さんのおかげです。オマージュ、コラージュ、贋作、なの だらうか? どこか違う気がするんだけど?
あっ!あと、『よーそろ』の後の曲『ボラーレ』。ジプシーキングとコラボしたんだよ、と松崎しげるさん。おまえの国さあ地震で大変だな松崎、日本語も入れようぜ、唄えや松崎、とメンバーに云われ松崎しげるさんが唄ったボラーレをTVで見たとき、やはり一瞬で決めた。
『よーそろ』のラストはこれしかない。♪もう二度とあんな夢は無いだろう…空高く僕が・・羽ばたく・・・・・眩しくて切なすぎる 人生…今悲しみを 吹き飛ばせ 夢人!! ぼーらーれっ! おおおう! 頑張ああれ、をおおおおおう! いまっ燃え上がれ!奇跡、起こすまでえ! もしも何もせずにこのまま終わるくらいなら、何かをして 失敗したほうがいい、虹の彼方 跳ねる 神さま !♪・・・・・と 臆面もなくCDとハモって今回『ビリケン夜話2015』無事 幕を閉じることが出来ました。皆様!本当にありがとうございました! そしていつまで続けられるかわかりませんが、『ビリケン夜話』、『サロン・ド・ビリケン』、これからもだうぞ 応援 よろしくお願いいたします。2015年12月吉日 花田拝
PS:来たる12月6日・16時オンエア、★BS・TBSで 『絆が育む 世界まち物語/≪オランダ・ルールモント篇≫』という番組のナレーション★不肖花田がやらせていただいております。
朗読の直後の収録で、スタッフ、クライアント、そしてマネージャーの皆様にご心配、ご迷惑をおかけいたしましたm(__)mm(__)mm(__)m オンエアしていただけるということです。どうぞ観てやってくださいませ。
かしこ、光子 拝
『墓の木を切刻む夢』用系図説明黒板。このポインセチア↑は新種の超弩でかい株でびつくりっ。のちに翌週のサロンのライティングを小生深夜の店で楽しんでいた際、スポットが落下し、花がひとつ折れてしまいました。嗚呼、この子はセンターにきたいのね?と、了解し、その落ちた花をコップに浮かべ、サロン・ド・ビリケンの最中、カウンター中央の、ロウソクの隣りで燃えて咲いていただきました。この場に訪れた諸故人々も 生者も、見入って行かれたことでせう。
★★★明日、2015年11月28日・土曜★★★一夜限り!
▼▼『サロン・ド・ビリケン・2015』聴くだけの方も大歓迎!
2015年11月28日・土曜16時開始・・
オンリー・ワンナイト・▲現在予約数⇒21名様
花田のスタンダード現代民話『声を聴いた話』(おくさああ~ん?金吾だ!) ののち、死の知らせ、先祖の来訪、などの話を聴かせて下さる方々の話し、ののち≪かの映画・・似ても似つかぬキャスティングな筈が・・・見よっ!天晴!昭和の大天才!な、あの主役に!『やっぱし乗り移っとったんでねえの?!』というエピソードや、あの事件前後の濃すぎる話。えっ?マジすか?魚々!?おもしれっ!サロンのみで公開っ!な…おはなし。詳しい方がいらっしゃるのでどんどん質問してみて下さいな。≫他、皆さんがそれぞれ持ち寄って下さった奇談を、楽しみ、思い起こしてゆく夕べっ。(^^)/
●参加費 ワンドリンク付き1500円←うむ、安いっ。
みなさあああああんっ迷惑かけて、ありがとお!私はやりたいことが出来る場所を持つという奇跡に近い幸せな状態にあることを、本番直前に知る。初回(2013年暮れ)の時と同じだ。めいわくかけて、ほんとおおにありがとおおおおおおm(__)m
★★★地味な宣伝。BS日テレで『音楽のある風景』という30分番組が(繰り返し放送されてます)ありまして、その中の『世界のN響~華麗なる響き』(NHK交響楽団のCDの宣伝番組)のナレーションやってます(^^)/★★★
★★★11月4日多忙の天才音楽家の家を訪ね、ちまちま集めた『音効』の音源を大切なコンピュータで編集していただいた。芸術家故に偏執狂的誠実さを持つその人は、四時間以上を割いて私の小さな表現に今回も協力して下さった。(昔 池田某とかいう画家?版画家が、フロッタージュという手法<←雑誌の写真をっテレピン油で擦ってコピーし写真以外のものにして版画表現に使う方法?>で版画作品を作っていた。僕はその芸術家には何も感じなかったが、たとえば他にも横尾忠則は、剽窃、贋作、的手法にこだわっているふしがある。最近ラジオで小田嶋隆氏(←超尊敬)が、芸術作品ないしは芸術的表現へのリスペクトや憬れ、感謝の気持ち等を現わすために行う『似た表現』をする、してしまうこと(←意識的&無意識的関わらず)に関して、オマージュ以外の数々の言葉を教えて下さったのだが馬鹿な私は覚える以前に忘れた。僕は、自分で拙く表現をそれなりに模索するうち、横尾さんのやっている手法のわけ、理由がぼんやりとだが見えかけてきたかも しれない。金も無く、狭い場所で、演れる手立て・・・を模索する中で、今回自分の小さなオリジナル作品に、何十年も前の、二つの映画作品から『音』を、リスペクトを込めて、繰り返し使わせていただいた。これは、例えば・・・フリッツ・ラングの『メトロポリス』を80年代に復活させた作品(フレディ・マーキュリー他の新たな楽曲を入れ、当時世界中から集めたフイルムを繋ぎ合わせ、そこに抽象的彩色を施した超変な作品。現在では有り得ない)があったが、あれは原作に以上に(近年ドイツで発見された原版のつまらなさと云ったら!!かつて芥川が『侏儒の言葉』で云ったやうに、古びたものがカビやら汚れやら様々な要因で味わいを増しかつてのモノでないモノに化けること)『美しいモノ』になり変わっている、というか あの物凄い映像に感動した芸術家たちが
それぞれにオマージュを捧げているのがありありと分かる。そうして結果的に傑作ができたこと、(現在DVDになっていない理由は想像できるが)ともちろん同格などと馬鹿げたことを云う気はさらさらありませんが、音の編集をして下さった若き天才音楽家のその人は、ほんの少しわかってくれた気配を感じました。コラージュ、オマージュ、オリジナルって何?アンディ・ウォ-ホルや誰だっけ?もっと以前にトイレを作品にした白人のひとなんかを思い起こすまでもなく、たぶんこれから概念は変わっていくんだろうねと思いつつ、今回、二つの映画作品の音をリフレインします。僕のオリジナル作品としては最高傑作な はず。NET版『文章な夜話』にもその傾向が出て来てますが、今回、講談か落語調になりそうです。& 内容的には ちと 怖いかも。だうぞご期待下さい!近くから来て下さる方も、本州以外から来て下さる方も、是非!楽しんでいっていただくために、不肖花田 素敵にするため目いっぱいあらゆることを試みて、本番に臨みます!乞う!ご期待!!! ウジェーヌ・アッジェとかいう人がパリの様々なモノ、風景やら、路地やら、おそらくはドアノブの類いまで、人間たちのいない時間に写真に撮りためて、それを絵描きたちが有難がったように、オリジナルって何?画って写真って何?的ことは考えますよねえ?あっ、メトロポリスのサントラからも二曲、あ!他も、あ!あ!あ!・・・あれ?・・・・使ってたわ。m(__)m(^^)/
何か いい話があって、それを語る相手がいる限り 人生捨てたもんじゃない ・・・・・この言葉は 『海の上のピアニスト』という映画の ナレーションです。
次はわたしの言葉です。
『人生の本質は「写真」的な記憶の中にある?』
海外の日本人作家さんが僕と近い感覚なことをTVで話してらして
驚いた。
『記憶は ムービーでなく 写真や 絵画だ、わたしにはね?』。
そこに 花田が付け加えるというか 云い換えるならば、
画の中にに時間は無いんです。
つまりは永遠です。
映像を動かし始めると 急に精彩を欠き 嘘になる。
焼きついた記憶は、実はきっと 一瞬で、永遠なんです。
だから我々は佳い記憶を残さねばならない。無駄に苦しむから。
(勿論忘れてならぬ苦しい記憶は有りましょう、子孫たちが気付くために。しかしそれはまた別のはなし)
『わたしはよく、過去や未来のことを考え 夢に浸る。そこには時間の無い岩山や 丘がある。そして生きていた人が全部居る』・・・・昔 古本屋で買ったアンドリュー・ワイエスの画集の冒頭にあった、画家自身の言葉 だと 思う。訳者不詳。&僕の記憶も書き違えられたかは…判らず。僕に面白いのは 過去にも未来にもみんな居る という画家の感覚です。
『おはなしは・・・・実は・・・ストーリーなんだろうか?』
僕には違う気がする。『おはなし』の最も重要なファクターは
『情景』だと思う。
ストーリーは解釈や理屈が紛れ込んでどお~もダメだ、僕はね?
だからミステリーにはまったく興味が無い。それを楽しめる たぶん『脳の部位』が僕には欠如しているのかもしれない。
映画なんかだと、ストーリーどうでもよい。その映画の全てが一枚のスチール写真(古うっ!)にあるものだ。だから名画は、ストーリーなんか忘れても記憶にある。つまり写真だからだ。
★そこ(←画) に 見る者がそれぞれに思い描くのは全く違う彼ら独自の『自らが思い描いた「一瞬の!ストーリー」』なのだと僕は感じてならない。
◆◆人が語るのを聴く時、われわれは実は話を聴いているのではない。話から『想像』しているのだ。だから語り手は常にシンプルでなくてはならない。「はなし」自体も シンプルであるに越したことはない。
だから詩が いちばんすごいのだが、文字や言葉という枷で その多くが失敗している気がしてならない。
語りの醍醐味は 僕にもきっと 死んでも分かるまい。
でも なぜか 『♪どおおおしてか ♪どおおおお~しても♪』(小沢昭一かい!?ちーーーーーーーんんんんん黙祷っ)
どーしても 民話体験に 秘密があるような気がして しかたがない。
またほぼ自動記述m(__)m
♪ハナダモニカが欲しかったんだよお♪拝