おんりー◆重松清◆わーるど『ビリケン夜話2016春』来て下さった方、御感想をこちらにお願いいたします!!

5/2月曜・18時・・① 5/3火曜・14時・・② 

5/3火曜・18時・・③ 5/4水曜・14時・・④

5/4水曜・18時・・⑤

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コメント: 13
  • #1

    一番乗りだった人 (月曜日, 02 5月 2016 20:35)

    初日の夜参加させていただきました。
    本当にその場面が浮かぶような朗読でした。まだこれから聞きに来る方がいらっしゃるのでネタバレになるようなことは避けますが、後半の最後の方は何故かその場面がありありと浮かんできて自然に涙が出てきました。
    カウンター席の花田さんが間近で堪能出来る良い席にも座らせていただき、後半泣いていたところを多分、見られてしまったなぁと(心の中で)悔やみつつも、今回もとても素敵な回でした。
    ありがとうございました。

  • #2

    ご近所さん (火曜日, 03 5月 2016 20:43)

    初日に参加させていただきました!
    前回予定が合わず来れなかった分、今回の朗読を楽しみにしておりました。エロい話を実に楽しそうに語る花田さんの変わらぬ変人っぷりに妙に安心しました(笑)
    終盤のふとしたワードに急に涙腺が刺激されたのは花田さんの表現故になんでしょうなあ。重松作品を好きで読みますが、音声で聞くとまた違う世界を見れます。素敵な世界への招待、ありがとうございました。
    また次回を、心からお待ちしております。

  • #3

    (火曜日, 03 5月 2016 21:12)

    初日に参加させて頂きました。

    目をつむれば頭の中に情景が浮かんで、まるで映像を見ているような気分でした。重松作品と花田さんのお声の相性、最高です。
    前半のノスタルジックな雰囲気がたまらなく好きで、後半のグッと現代に引き戻されるような感覚もおもしろい。休憩を挟んで雰囲気が変わるのもメリハリになって終始楽しめました。前後半の間に本来あるお話も聞いてみたいところ。気になるので今度読んでみようと思います。

    この度はお誘いいただきありがとうございました。
    次回も楽しみにしております(^^)

  • #4

    ふくだ (水曜日, 04 5月 2016 22:57)

    千秋楽に参加させて頂きました。
    花田さんの、重松清さんへの愛が伝わるような朗読会でした。作品と声が妙にハマるというか…。今回は第1章と最終章でしたが、間の物語も聞いてみたくなりました。
    カウンター席に通して頂いて、贅沢なくらい近くで朗読を聞き、ロウソクの消える匂いを感じたりと、存分にその世界観に浸りました。
    一本の映画を見終えたような心地です。
    素敵な時間になりました、ありがとうございます!
    また次回の朗読会も楽しみでなりません。その時も是非参加させて頂きますね(^O^)

  • #5

    初参加の人 (木曜日, 05 5月 2016 16:31)

    5/3夜参加させていただきました。

    花田さんのほうから、朗読を間近でお聴きできるカウンター席を勧めていただきありがとうございました。素敵な時間を過ごすことができました!
    プロの朗読を生で聴くこと自体が初体験でした。ただ読むということでなく、声色や動き、間の取り方など様々な角度から作品を伝えるという行為そのものに感動致しました。
    また内容も大変興味深く、重松清作品も読む時間を作ろうと考えております。

    おにぎりをいただいたのですが、とても食べやすく美味しかったです!奥様にお伝えくださいませ。

    また是非参加させていただきたいです!先日はありがとうございました。

  • #6

    矢切の渡し (木曜日, 05 5月 2016 20:36)

    病院の、妙にフワフワで沈み込むと立ち上がれないソファーで、
    夢中になってそれを読んだ。
    中年の男女の、平易な言葉で語られる過去と現在 
     決して戻れないから鮮明に蘇るのか 
     あの日に帰りたいのか、帰れない事を受け入れたいのか 
     よく分からなかったが 何故か哀しかった。
    自分にも当てはまる気がして・
    その本を一年後の検診の日に返そうと、持って帰って
    そのままにしてしまった。
      哀愁的東京
     思い出した・何故哀しかったのか
    自分も孤独だったからだ。 
    誰かといても、愛し合っている時でさえ、やはり
    孤独を噛みしめながら生きていたからだ。
    女性 特に若い人には理解してもらえないかもしれない
    今回の マジックミラーの国のアリス
     花田的偏愛と貴重的時間 が詰まっていました。

  • #7

    さかなくん (金曜日, 06 5月 2016 22:03)

    真ん前できかせていただきました。
    どうもありがとうございました。

    長居してすみませんでした。
    居心地がいいので……(ノД`)

    次回も楽しみにしてます!
    お疲れ様でした。



  • #8

    キク (日曜日, 08 5月 2016 02:47)

    何回も拝聴させていただいてるビリケン夜話でしたが、毎回ナチュラルに作品の世界観に入り込める朗読会で非常に有益な時間を過ごさせていただいております!
    テレビや映画とは違い、作品の空気感がダイレクトに感性を刺激される空間があるので本当に好きです。

    重松作品を今回は演られて、人間臭さは、儚さ、愛情etc
    複合的演出に心情を揺すぶられるのは必然ですねw

  • #9

    T.K. (日曜日, 08 5月 2016 14:47)

    花田さんの朗読はいつもリアルで、カフェ店内の湿度や香りがその場面の空気を帯びてくるような不思議な感覚に陥ります。
    建物地下の湿気と埃っぽさ、古いアパートのカビ臭さと酔った男性の体臭、車内の鼻をつくすえた匂い、病院独特の消毒液の匂いまで漂ってくるかのようです。
    花田さんはご自身がお好きな作品を朗読なさるだけあって、作品への愛が感じられます。
    また花田さんの声で紡がれる世界観に浸りたく、次回の朗読会の開催を楽しみにしています。

  • #10

    まち (木曜日, 12 5月 2016 21:10)

    楽しく拝聴しました。たぶん2、3回目です。
    重松さんの短編を、前回この朗読会で聞き、ひとの人生を垣間見るような、不思議な話を書くひとだなと思いました。
    私は高校生の頃重松さんの短編を読みましたが、特別高揚する感じでも、うっとりした感じもしませんでした。
    ただ、ひとの人生を見ている感覚。たとえるならば、友達の話を聞くような感覚。
    特別陶酔したり、熱狂した感じもなく、ただ、「ああ、いいなぁ」と思える。特別に、私たちを感動させようと、興奮させようと文字を書いているわけではない。
    不思議な、人生の哀愁、讚美、のようなものといいますか。
    それは作家さんの、冷静でありながらも包容する書き方、生き方のようなものを感じとれました。
    達観しているかもしれませんが、非常に、人間臭く、切なく。
    押し付けがましくなく、
    そして、読み方も、私たちにこうでしょ!?と、してこないという、
    とても心地いいものでした。

    二時間があっというまでした。
    前回の朗読会でも、歌を歌っていましたが、今回は歌つきがテーマ曲。東京事変ですね。
    そう、今回のお話は、東京に出てきたひとの、東京に対する哀愁のお話でした。
    余所者ながらも、東京への愛着や哀愁がある。
    最後の東京タワーのシーン、とても好きです。東京タワーにのぼり、町並みを見下ろす子供、まわりの人々、それを見ていると、涙を流す主人公。
    ホームレスの男性、語り手の私、そして娘、どのようにこのタワーを見上げるか?
    東京タワー、建物とは、不思議ですね。建てられたとき、かつては、みんなの夢だったもの。私たちより長く生きて、この東京を見ている。
    そうか、と納得しました。私はエッフェル塔の小物を集めるのが好きなのですが、象徴と夢となる、建物。芸術のまち、フランスの建物。それは、賛否両論あって、エッフェル塔を見なくて済むのは、エッフェル塔の中に入ってしまうことだ、という苦言もあるくらいですが。笑
    とても、建物とは大きな存在ですね。
    私は、スカイツリーより東京タワーが好きなのかもしれません、スカイツリーにはあまり興味が持てません。
    それは、高さで勝負していると思い込んでいるからでしょうか。

    私たち見下ろしている東京タワーで、わいわい私たちの日常を繰り広げている光景、それを見て涙を流す主人公がとても好きです。
    東京タワーは、もしかしたら、やさしい神聖なものに映ったのかもしれませんね。田舎からやってきた、東京暮らしの主人公にとっては。

    そう、田舎から東京にやってきたばかりのエピソードからはじまるんですね、アリスのお話。あれは、エロティックで、非常にどきどきしました。東京は、なんでもあるなぁ…。というような男の子たちの夢となにやら、いっぱい詰まったような感じでした。
    その夢が、何十年たっても、色褪せず、たとえ、夢をつかんだとしても、いまだ夢であり続けるような、特別なエロティックなアリスの思い出。
    その若かかりしアリスの思い出が、何十年たって、おばさんになったとしても、きっと主人公も実業家も、アリスもみんな、忘れられない夢だったのでしょう。
    そして、再現して、年をとった体でもショーを繰り広げる。その彼女の裸体のからだやその光景を、主人公は「美しい」と思う。その感じかたが、何よりも好きです。すごくしびれました。

    語りかたが、畳み掛けてくるものではなく、重松さんの文字をそのまま伝えようとしてくれる。そのことで、私はまるで読書をしているように聴け、また肉付けされたようで、
    とても楽しい朗読でした。
    それは、重松さんの文学を本当に愛し、尊敬しているんだな、と伝わってきて、嬉しかったです。
    畳み掛けて、ただ、好き!!と大声で言うような感じではなく、ありのままの重松清文学を伝えてくれたような感じがしました。

    素敵な作品を教えてくださり、ありがとうございました!
    また次回、機会がありましたら楽しみにしております。

  • #11

    使用人1 (金曜日, 13 5月 2016 12:08)

    春ビリ、お疲れ様でした。
    お元気でお過ごしでしょうか。。

    今回特に感じたのは、人を『美しい』と思うのは
    思ってたよりもずっと
    劇的な場面に立ち会っている瞬間なのかなということで
    もしそんな瞬間が訪れたら、それまでとこれからも
    もっと大事にしておきたいです。

    重松清さんの短編集「みぞれ」中の「望郷波止場」にも
    今回の作品と近いものを感じました。

    それでは、これからどんどん暑くなっていきますので
    お身体に障りのありませぬよう
    仲睦まじくお過ごしくださいませ!

    奥様!今回もおむすび美味しかったです。
    かしこっ


    P.S.また連絡しますのでもう少し待っててね

  • #12

    イニシャルM (月曜日, 16 5月 2016 23:13)

    初めて参加させていただきました。イメージを浮かべ朗読を聴いていました。後編の娘に対しての反応が主観的に「違うよっ!」って突っ込んでました。笑

    最後に。。。メールの送り方学んでおきます。

  • #13

    匿名さん (月曜日, 16 5月 2016 23:20)

    かきたてられ、ぶらり感想を書いてふらり立ち去るものです。
    笑い話、昔アーティストを目指しましたが作曲の才能がないと何回か作って気付きました。その当時、私の憧れのアーティストは椎名林檎。だから、今回は運命的な何か…を感じました。鳥肌。大人になった私、過去の隠していた、ひとにも言えないような「アーティストを目指していた若いころ」を、反復して思い出しておりました。
    椎名林檎を好きだとは、人に話すとき、躊躇すること。なぜなら彼女は一般からすると、どうやら奇抜すぎる印象がある。だから、隠していたということもある。だが、「ありあまる富」の歌詞の写しを見て、
    私の過去熱狂した、「林檎嬢ファン」!
    その良さを、あらためて触れることができました。そして、その熱狂は間違いではなかったと大人になってからあらためて。このふとしためぐり合い、邂逅に感謝。
    彼女の歌は何よりも、「文字」「文の美しさ」にある。《音楽性はもちろんのこと。》
    「ありあまる富」、正直耳で聴くだけでした。ですが、こうして紙に書いてくださり感謝しております。※感想文を書くことが趣味なので、この私の長くなる感想文、お付き合いいただけると嬉しく思います。。
    富、という言葉。その富は、彼らは買うことができる。けれど、ぼくらの富は、見えないし、奪えないし壊すこともないもの。つまり、うちがわのもの。きっとそとのものは、いくら買ったとしても、わたしたちのうちがわを決して「豊かにしない」。あなたたちの、うちがわの富は、どのくらいあるのかしら? という問いかけが聞こえてきそうだ。そして、そとがわの富に依存するものは、不幸だ。「世界はまだ不幸だってさ」。そとがわの富は、「盗めること」ができる、けれども、それに落胆してはいけないよ。だって、あたしたち、「生命に従ってついてる」、生きているんだから。生きているうち、いろんなことがあるよ、「そとがわの富」、ふえたりなくすよ。けれどさ、「うちがわの富」、あなた、それは無くさないで。それを、育てるのは、あなたよ! ということだろうか。まるで、この歌詞、母親が子どもに語りかけているように聞こえる。小学校で満足に過ごす事ができない子どもに対して、母親が慰めている言葉のような…「やさしさ」がある。
    椎名林檎(東京事変)の曲、「キラーチューン」「閃光少女」、私は「閃光少女」のPVで号泣した。一生懸命に生き、ときには欲張ったり、瞬間の生の喜びを描いたもの。映画だ、文学だ、彼女の歌は。それがなんとも、生きることへの賛美のような、励ましのような、そんな気がして好きだ。そして、その生を、彼女自身が生きているような気がして、そして曲にしているような気がする。私がこう生きて生を謳歌しているから、あなたも、自分の“オリジナルの生”を謳歌して――というような、後押ししてくれるような歌たち。
    まるで映画、文学、CM、写真のような、あつみ、彼女の歌。
    ありのまままの、レリゴーではないが、むきだしの彼女の生。人間として生まれたことの賛美。生き物としての賛美。そのような精神を感じる。

    声が聞こえる。
    生きること、窮屈になっている私たちに、
    「そとがわの富」で、うわべだけでへつらうこと、楽しいか?
    人と背比べして、力を威張ったり、しょげたりして、
    おまえらの富はそんなものか! 
    人と比べて、自分の生を生きていないんじゃないか?

    他人と自分の「うちがわの声」を聴き、
    自分の生を生ききったものは、すばらしいぞ。


    朗読会に使う、という発想がすばらしい。いち「林檎嬢ファン」として、喜んでしまった。だから嬉しさ余って気まぐれに匿名感想を投下しているんですが。
    そして、重松清、いい作家。残るよ。
    とても素直に、生を描く、それができる作家なのか。詳しく存知ませんが。

    きっと、アーティストにしろ、作家にしろ、こういう芸術活動をなさるかたは、きっとがむしゃらの生への喜びを描こうとするのだろうか。
    彼らはきっと、そう、林檎さんの書く、みずからの「うちがわの富」、その感覚を大切になさっているのでしょう。
    そして、その一生懸命クリエイトする人間の「うちがわの富」を浴びることで、私たちは元気をとりもどす。大変だけど、生っていいなあって。
    わたしたちは、きっと、こういう表現の場をなによりも喜ぶだろう。だって、生きているのだから。……。

    そして、短編2作品の、生、性!
    主人公たち、みなの必死の生き方!美しい、
    それは椎名林檎の世界観とも似ている気がしている。
    いや、アーティスト、作るものとは。

    いままで、悲劇を描くのがアーティストか、と、特に若い頃の私はそう思っておりました。ですが、きっと違う、世界を喜び、感動を伝え合うために、そう、みなの生きる感覚をとりもどすために、こういうクリエイティブな活動はあるものか!!と、何の契機かは知りませんが、はっと気付かされました。

    他者の声を聞け、とだれか偉い人が書いていた。
    それは、他者の「うちがわの声」、自分の「うちがわの声」を聴け、そして、”生”を一生懸命すること。
    そして、ありのまま、相手のことを大切に思いながら。…そう、「ありあまる富」の、語りかけてくるような、やさしさのように。語る。その素直さ。
    それがアーティストか!クリエイターか!
    彼女たちの命の作品を浴びれて、幸せを感じた。
    そして、今回の短編でその思いを強くしました。

    なにを私は、威張ったり恐縮したり、
    ひとと比べて、みずからの富を大切にしなかったのか、
    おのれの「うちがわの富」は「すっからかん」ではなかったか?と恥じます。
    いやはや!良い歌です。
    すぐさま感想を残せず、ずっとこういうことをぐるぐる迷路で考えておりました。
    ようやく洗われる想いでした。

    それにしてもいい出会いでした、私の若い頃との再会のようでした、椎名林檎、再燃してしまいました、また聞き込みたい。
    こうして朗読会や芝居を見て、ながーい感想を残すのが趣味のわたくしです、
    お気を悪くされたらすみません、ですが、すばらしい会でした!それだけを伝えたかったのです。あまり本編のことを書けず、歌詞のことばかりですみません。それほどうれしかったのです。
    では、ありがとうございました。